KPIマネジメントを成功させるには

データ分析は地味で泥臭い作業が多くある、という意見をよく聞きます。


私も確かにその通りだと思います。


ただ実はデータ分析だけでなく、その周辺の業務にもさらなる泥臭さはあふれているとも思います。


例えば各所との調整ごとや交渉ごと、申請、稟議などの社内手続き、確認や報連相などなど。。。


今回はKPIについての泥臭い部分をお話ししたいと思います。


以前KPI設計の基本という記事を書いていて、KPIの設計は難しいということをつらつらと述べてました。


ただ今思うと、こうしたことはたとえ困難であっても頭脳労働になるので、データアナリストであればむしろ好物なのかもしれませんね。


さて当然ながらKPIというのは設計するだけで終わりではなく、そのあとの運用管理も大事です。


常に関係者はKPIの状況を確認し、問題があれば即座にしかるべき手を打つ。


そのために必要なのは、まず関係者の意識の改革です。


ようはKPIを常に気に掛けるようになっていただく、ということです。


よく会社として今期の売上目標はxx億円!とか、顧客や会員の数をxx人規模にすることを目標としよう!と宣言されている話を聞きますが、関係者である当の社員はいつの間にかその目標値を忘れてしまっていて年度の終わりの全体会議でそういえば。。。と思い出すなんてことも合わせてよく聞く話です。


会社の目標などですらこうしたことが起こりうるので、そうした人々はKGIから何段階かに分解されたKPIともなれば普段全く気にしていないのではないでしょうか。


データアナリストも運用段階では関係者向けにKPIレポートを作ったり、定期的にデータを集計して報告したりすることをやっていたりすると思いますが、作ったレポートがほとんど見られないとか、報告しても特に何もアクションもなく空しさを感じているなどの経験をしている方も多くいるかと思います。


中にはそれで良しとせず、こまめにレポートの見易さを改善したり、補足説明やガイドを充実させたり、社員がよく見るポータルサイトや社内掲示板にリンクしてもらえるよう交渉したり、レポートの使い方や数字の見方のレクチャーをするなどの啓蒙活動などに取り組んだり、いかに数値に関心を持ってもらえるか、見てもらえるようにするか、といった泥臭い作業に尽力している人もいるでしょう。


しかしなかなか報われず、それどころかKPIとは関連のない「あんな数値やこんな数値までついでに見れるようにしてよ」と逆に無意味な仕事を増やされてしまったりしているかもしれません。


元々はおそらくKPI設計の段階で問題があって、各社員の業務と立てられたKPIがあまりリンクしていないことでKPIが他人事になってしまっているという可能性が高いのですが、そうだとしてもいかに自分事の数値指標として意識してもらうかは重要です。


そうしないともしKPI設計に問題があってもそのことにすら気づかれず、問題として取り上げられないまま放置されて同じことが繰り返されてしまうので。。。


PDCAが回っていない状態、あるいは回すだけの状態(アクションがKPIの改善になっていないなど)だとKPIマネジメントが成功しているとは言い難いでしょう。


よく漫画などではブラック企業の営業マンがノルマ未達を上司から厳しく責められている場面などがありますが、やり方はともかくとして、あれくらい各人がKPIを意識するのがひょっとすると理想なのかもしれません。


・皆の目に入るところにKPIの進捗がモニタリングされている
・定期的に(こまめに)皆でKPIの進捗を管理し、対策を考えている
・KPIの進捗が各人の評価に大きく影響している


しかし、KPIに直接貢献するもの以外の間接業務なども当然ながらたくさんあるので、ドラスティックに管理するのも難しいでしょう。


とはいえ、何もしないのもそれはそれで改善がないので、できることからでも進めていくことは必要なのだと思います。


何から進めるかは企業によりけりなのでケースバイケースですが、いずれにせよ簡単なことではなく、泥臭くて時間のかかることだろうと思います。

質問力の磨き方

社会人に必要なスキルのひとつとして、「質問力」というものが話題にされることがあります。


これを磨くとコミュニケーションを円滑に進められるようになるそうです。


結果的にそうした側面もあるかと思いますが、ひとまず質問力とは「求める回答を得られる確率を上げるスキル」として定義してみたいと思います。


さて突然ですが、福本伸行さんの「カイジ」という漫画に登場する利根川というキャラクターの「質問」に関する印象的なセリフを紹介します。

質問すれば答えが返ってくるのが当たり前か。。。?


なぜそんなふうに考える。。。?


バカがっ。。。!


とんでもない誤解だ


世間というものはとどのつまり肝心なことは何一つ答えたりしない


住専問題における大蔵省、銀行。薬害問題における厚生省。


連中は何か肝心なことに答えてきたか。。。?


答えちゃいないだろうが。。。!


これは企業だから、省庁だからってことじゃなく、個人でもそうなのだ


大人は質問に答えたりしない


それが基本だ


<中略>


無論、中には答える大人もいる


しかしそれは答える側にとって、都合のいい内容だからそうしてるのであって、そんなものを信用するってことは、つまりのせられてるってことだ

賭博黙示録カイジ1巻より一部抜粋



質問しても求める回答が得られない、なんてことは誰しも体験したことがあるのではないでしょうか。


データアナリストであれば、「求められたデータ分析の目的を教えて下さい」と質問しても納得のいく回答を得られなかった、というような経験のある人は多そうです。


もちろん回答を得られることも多いでしょうが、「カイジ」の利根川曰く、それは回答者にとってそのほうが都合がいいからということのようです。


質問される側に立って考えてみましょう。


回答することが自らのメリットにつながるなら当然回答するでしょうし、逆に自らにとって都合の悪いことならなるべく答えたくないでしょう。


微妙なのが、メリットとデメリットどちらにつながるか判断できないときです。


ちょっとした確認程度の質問ならおそらくどちらでもないので、そのように悩むことはないでしょう。


ただし自分の回答によって質問者の行動等を左右しそうな場合は、自らにも何らかの影響があるかもしれないと感じて回答は慎重にならないでしょうか。


そしてその場合はリスク回避の観点からも、やんわりと回答を避けるとか差しさわりのない回答ですませておこうと思わないでしょうか。


つまり回答者にデメリットやそのリスクがあるかもと判断された場合、そもそもそのような質問には答えてもらえないのです。


回答可能性
メリットあり
デメリットあり ×
不明(リスク) ×


果たしてこれらの場合、「質問力」を磨くことでなんとかなるのでしょうか。厳しそうです。


ということを前提に、それでもなんとかする方法を考えてみたいと思います。


例えば、先回りしてデメリットやリスクを解消してあげられるように伝える。


質問に回答するために確認や調査など追加の作業が発生してそれなりの時間や手間をとられるといったことになりそうなら、忙しいときなどは特にデメリットと思われるでしょう。


この場合、質問するタイミングを見計らったり、調査などが必要なら自分がやるので指示だけお願いするなどなるべく回答者の負荷に考慮した質問の仕方をすると回答してもらえる可能性が上がると思います。


他にもデメリットやリスクを払拭できるように背景や事情などをきちんと説明したり、後で回答者に面倒をかけないように立ち振る舞うといったことを約束するとか、周りに他の人がいないところで聞くとか、リスクと思われないようなあまり差しさわりのない最低限のことだけ聞くなどすれば、回答者の不安も和らげられて回答してもらえるかもしれません。


例えば、人や立場によってデメリットがデメリットでない場合もあるのでデメリットを感じない人に聞く、なども可能なら良いかもしれません。


この場合、そういった人を見極める知見が別途必要になりますので限定的かもしれませんが、選択肢のひとつとしては検討しても良さそうです。


質問力の高い人は、上記以外にも回答者にデメリットやリスクを感じさせない技術に長けている気がします。


こうしたスキルを身に着けるにはどのような経験を積めばよいのでしょうか。


基本的には場数を踏んでPDCAを行っていくことなのでしょう。


その場合も簡単に答えてもらえる質問よりも、回答してもらえなさそうなことを如何に聞き出すかの方がより効果的かもしれません。


とはいえもちろん必要のないことばかり聞いたり、刑事さんの尋問シーンのように恫喝して聞き出したりするのは止めておきましょう。回答者との関係性が悪化してしまうかもしれません。


また一見の相手だと失敗するとPDCAできなくなるので、まずは継続的にお付き合いのある方が相手が良いかと思います。


万が一失敗しても後程フォローができたり、再度改善してチャレンジできる可能性もありますので。


余談ですが、私はフリーランスになって時々データ分析に関するご相談を問い合わせフォームやWebサービス等からいただくことがあります。


ご相談はほぼ一見の方々です。


その対応を行うにあたってまずはヒアリングとして詳しい事情や背景などを質問させていただくことが多いのですが、何割かの方は途中で音信不通になられます。


私の質問の仕方がまずかったのか、他で解決したのか、ただの冷やかしだったのか、フィードバックが得られないため原因を突き止めることも難しくなかなか歯がゆい思いをしています。


直接顔を合わせていたりあるいは電話などであれば、まだ相手の反応などから多少推し量れたり、即座にフォローなど行うことも可能ですが、メールやWebでのやり取りでの対応となるとより一層難しく感じますね。


またこの場合相談なので、相手からするとこちらかの質問がどうというより、自分の課題や困りごとがどこまで解決できるのか、その方法や対応能力はどういったものか、対価はどれくらいか、といったこちら側の見極めも大きく影響することでしょう。


つまり質問に回答してもらう以前に、「相手の質問に答える回答力」であったり、「メリットを感じてもらう提案力」であったり、「親身に寄り添う姿勢」であったり、「課題解決力」であったり、相手との間の信頼や信用といったものも重要なのでしょう。


質問をする前にそうした関係性をいかに構築できるか、あるいはできているかもポイントなのかもしれません。


こうなってくると単純に「質問力」だけの問題ではなくなってきますね。


もともと質問というのはそれ自体が目的ではなく、自らの課題を解決したり物事を進めるための手段のひとつなので、別のやり方もあることでしょう。


あまり質問をして回答を得ることにこだわりすぎずに、別の方法を考えることもできるという柔軟性も必要かもしれません。


また「質問力」を上げるために相手との間の関係性や信頼が必要となると、それを得るために「交渉力」とか「提案力」とか「営業力」とか「コンサルスキル」などが必要となって、とかまで話が広がってしまうと収集がつかなくなってしまいそうです。


ただ各種ビジネススキルとの関連性は深いので、質問力の育成もそれ個別でというよりは業務等を通じて総合的に経験を積んでいくのがよいのかもしれませんね。


もくもくとデータと格闘することで業務時間の多くを過ごすデータアナリストであれば、そうした経験が不足しがちになるので気を付けたほうが良いかも。

定性的な分析

定性的な分析は、よく定量的な分析とセットで語られます。


定量的な分析のほうは数値で表す分析で、定性的な分析は数値で表せない分析のようです。


前者はイメージしやすいと思いますが、後者はちょっとわかりにくいですね。


後者の例としては、アンケートの自由記述やインタビューのデータを使った分析のようです。


商品/サービスを購入した理由を聞いたり、不満点やどう改善してほしいかを聞いたり、元々データとして取得しづらい情報を収集してそこから特徴を抽出します。


それらは回答者の主観が多分に含まれており、また表現も不統一であいまいであるという一方、想定外の結果や意外な結果を得られる可能性も高いと言われています。


定量的な分析は客観的な結果を導けて汎用性が高い一方で、定量的なデータがないと実施できないという制限があるので、お互い補完関係にあるとみなされていたりもします。


私も両者は補完関係にはあると思いますが、どちらか一方で完結するとか使い分けるという風には思っておりません。


大体のデータ分析において両方とも必要だと感じています。


データが十分でない場合、特にどのようなデータを集めればよいのか困っているならば、アンケートやインタビューなどの手段でデータを集めることになると思います。


そしてテキストデータそのままだと客観性に欠けるという課題もあるので、可能であればなるべく有用なデータ項目として取り扱えるように集まったデータの表現を修正・統一し、それをもって再度自由回答ではなく選択式のアンケートをとるなどして、より定量的に取り扱いやすいデータとして収集します。


そうしたデータはファクトをベースとした履歴や取引のデータほどバイアスのないデータとは言えないかもしれませんが、分析するのであればなるべくそれに近い形にする努力はあったほうが良いでしょう。


最終的には数量データに落とし込んで客観的な形でまとめないと分析としては使えないので。


自由回答のテキストデータを品詞に分解して頻出語を文字サイズの大小でビジュアルに表現する、などテキストマイニングツールの機能でよくありますが、そのスクリーンショットをレポートに貼り付ければ分析完了とはなかなかいきません。


そもそもアンケートの自由回答にせよインタビューにせよ十分な母数がとれているのか、その他の非回答の方の意見は無視して良いのかも懸念ですし、ある言葉が多いことは分析の目的やそのための情報として何を意味するのかもしかるべき解釈ができないと意味がないでしょう。


定性的な分析はそれ単体で完結するということはあまりなく、最終的に定量的な形に整理して分析する必要があります。


また定性的な分析は、その言葉の意味から分析対象の「量」でなく「性質」を明らかにする分析とも言えます。


フレームワークを使う分析も定性分析の一種ととらえてよいかと思います。


例えば、ある商品が売れた理由を分析する際に4P(Price / Product / Place / Promotion)のフレームワークで仮説を整理するなどのイメージです。


フレームワークを使うと仮説や分析項目の漏れを防げたり、類似や重複をまとめられたりするので、より客観性も高くなります。


以上のように必要に応じて前段階で定性的な分析が必要となるケースも多く、やっぱり両者は補完関係にあるのではないかと思ってます。


そしてデータアナリストにも両方できるスキルが必要とされるでしょう。


ちなみに定性的な分析のスキルアップには、ドメイン知識を身に着けたり、フレームワークを使いこなせるようになったりが必要と思われますが、分析の目的に沿って定性的な情報を定量的なデータに変換できるところが一番肝だと思うので、机上だけではなくある程度の経験も必要です。あまり焦らずじっくりスキルアップしていきたいですね。

広告回数の最適化

広告はたくさん出すのが良いのか


TV、ネット、街中など色んな場所で多くの広告を日々みかけます。


ある調査ではWebのトラフィックの4割以上を広告が占めているそうです。


確かにいくら良い商品やサービスを開発しても、まずは人々に認知されないとなかなか購買につながりません。


広く告知する手段としてやはり広告は欠かせないものなのでしょう。


ただし、現状の広告にあふれた世の中では、よほど印象が強くなければ、興味を持ってもらえるどころか認知してもらうことさえ至難の業ではないでしょうか。


広告のチャネルや内容などにもよりますが、一目見られておしまいとか、数秒あるいはそれ以下しか目に入らないとなると、少ない接触では中身が伝わるかどうかも怪しいですし、人々の記憶にもほとんど残らないことでしょう。


そのため広告の効果を少しでも上げるには、ターゲットとの接触時間や接触回数をなるべく増やすように広告を出すことも大切です。


行動心理学でも人や物への接触回数が増えれば増えるほど好印象を持つようになるということは言われています。(ザイオンス効果)


広告による接触時間や接触回数が増えれば認知されやすくなり、それだけ購買までつながる確率も高まることでしょう。


マーケティングの世界では、セブンヒッツ理論とかスリーヒッツ理論など言われています。(それぞれ7回あるいは3回広告に接触すると購入確率が高まるという理論)


しかし、過ぎたるは及ばざるがごとしのように、接触時間や回数が多ければ多いほど良いとは限りません。


広告の商品やサービスを既に認知しているのに購入しない人に、繰り返し広告を出しても効果はあまりないでしょう。


広告の商品やサービスを既に購入している人に、繰り返し広告を出しても同じくあまり意味はないでしょう。(リピートにつながるかどうかは今度は広告ではなくその商品の評価によります)


逆に広告をうっとうしいとかしつこいとか思われてしまい悪印象につながる恐れすらもあります。


上記の3回や7回の理論はそれ以上広告と接触させてもあまり効果が上がらないということでもあります。


広告の回数はどれくらいが良いのか?


では適切な広告の接触時間や回数はどれくらいなのでしょうか?


上記で紹介した7回や3回の理論もひとつの目安として使えるかもしれません。


もし仮にとある全広告の掲載期間の延べインプレッション数が50万として


A. 接触対象者が50万人なら、一人当たり1回の接触になります。


B. 接触対象者が10万人なら、一人当たり5回の接触になります。


単純に考えると50万人に届けられたAのほうが広告の効果は高そうです。しかしザイオンス効果やセブンヒッツ理論等によると、必ずしもAのほうが良いとは言い切れなさそうです。


実際は平均接触回数が5回とかいっても、接触対象者によって広告に1回しか接触していない人と複数回接触している人が入り混じっているでしょうから、その分布によっても違いがあるでしょう。


セブンヒッツ理論やスリーヒッツ理論、ザイオンス効果なども、当然ながら全てのケースに当てはまるわけでもないでしょうし、回数だけで最適化できるとも限りません。


広告の効果は他にもクリエイティブや中身も影響があると思われますし、広告一回当たりの接触時間やタイミング、接触の「間隔」も影響があると思われるので、実際はそうした要素も考慮が必要でしょう。(短期間に何度も広告メールを送るなどもおそらく逆効果)


またそもそも広告の接触ログを適切に取得できていないとそうした要素を分析することも難しいところです。(TVCM、看板、つり革広告などはデータ取得が難しいのではないでしょうか)


うーん、こうして考えると広告の出し方や回数などの最適化は複雑で厳しそうです。


全てがデータ化されれば機械学習などを使って自動的な最適運用も可能になってくるかもしれませんが、非データ要素が多く絡む段階ではやはり各要素について部分的な検証を続けて大体の運用目安を見極めていくのが結局急がば回れかもしれません。


このあたりは引き続き色々事例や研究なども調べてみたいところです。

雑談のすすめ

みなさん仕事中に雑談とかしていますか?


テレワークが増えてオフィスに集まることが減っている昨今、なかなか雑談などしにくい環境ではないでしょうか?


オフィスにいるときは雑談だけでなく周りの人たちにちょっとした質問や相談などもしやすかったと思いますが、今ではそうしたこともしづらくなっていないでしょうか?


元々ある程度気心が知れている相手であったり、質問や相談内容が相手の担当業務であるならばメールやチャットでも気軽に話しかけるハードルは低いかと思います。


しかしそうでない人たちにいきなりチャットで雑談を振ったり、「これどう思う?」とか気軽に意見を求めたりするのは抵抗を感じる人も少なくはないのではないでしょうか。


オフィスで近くに座っている人たちなら、今少し話しかけても大丈夫そうかどうかの雰囲気もわかりますし、相手の反応も見て取れるので心理的な抵抗はあまり高くないと思います。


もともと雑談やちょっとした相談はその場かぎりの短時間のキャッチボールですが、オンラインだと相手の様子がわからないのでいつ返事が返ってくるかもわからないし、ひょっとすると(気づかれずに)スルーされてずっと反応がないままでキャッチボールにすらならないかもしれません。


そうして雑談や相談がしづらくなってしまうと、結果的に仕事を一人で抱え込んでしまうという人も増えているのではないかという気がしています。


データ分析の仕事でも色々調べても知りたいことが結局わからずに行き詰ることなど多々あります。


そうした際に周りの人たちと雑談をしたり、軽く相談をしたりするのは気分転換や新たな気づき、考えの整理などのためにもおすすめなのですが、今の環境ではなかなかそうしたこともしづらいのかもしれません。


とはいえ今の環境はオンライン化によって通勤時間が減ったり不要な会議が減ったりとメリットも多いので、元の環境に戻すべきとまでは思いません。


減らしてもよいコミュニケーションとそうでないもののバランスまで最適化された環境というわけではないので、ひずみが出てしまうことも避けられないのでしょう。


そうしたひずみを仕方ないものとして放置するか、なんとかしようとしてみるか、一度考えてみてもよいのではないでしょうか。



前にいた会社でも、特に「進捗報告」の会議はどんどんなくす、あるいは減らされる方向にありました。


メール、Wiki掲示板等でいいでしょ、となって報告内容もどんどん簡略化されていきました。


現場側は上長にいちいち細かい内容を報告したり、逐一口出しされるのを面倒に思って必要最小限しか報告したくないようです。


そうした若手の上申などもあって、進捗会議をなくそうという動きはどんどん進められていきました。


上のほうの人たちも結果以外の現場状況の細かいところなどほとんど気にしませんので、会議を減らすことで効率化につながるなら良し!という考えのようでした。


ただデータ分析業務は、プロジェクトの仕事以外は進捗状況を管理しづらい点もあって普段何やってるのか不明な人たちも結構います。


特に他チームに派遣されてるなら尚更です。


マネジメント上の問題がなければこうした状況でも特に構わないのかもしれませんが、私が現場のころは周りの人たちがどういう仕事をしているのか非常に興味があったし、進捗会議で先輩や同僚の仕事の進め方ややり方などを聞いて学びや気づきも多々あったと思ってます。(ちなみに管理職の立場になっても変わらず学びや気づきはあります)


そのような進捗会議を減らしたならばチームや部署としてのナレッジ管理やスキルの底上げはどのようにするのだろうか、と訝しんでしまいます。


なので個人的に進捗会議自体は必要と考えており、可能な範囲では実施するようにはしていました。


もちろん共有するまでもない内容をだらだら時間をかけて報告するのは非効率なので、トピックスや事例、課題などテーマ選定して内容を絞ることが重要です。


ただ最近行った外部イベントの報告や最近興味のある技術や世の動向について調べたこと、支援先の業界トピックスなどの報告もありで、テーマはガチガチに業務に限定せず、コミュニケーションのきっかけにでもなってくれればいいなと思ってました。


また会議ではスピーカーの話を聞くだけで終わりではなく、質問や意見なども活発に交わしてもらうようファシリテーションもしてました。


雑談代わりとは言えないかもしれませんが、担当業務やそれに関連する内容のものを情報発信してもらったり、それについて軽く意見を交わしてもらったりするなど、多少なりとも気分転換や学び、コミュニケーションの促進となるような機会になっていたのではないかと思っています。


それがこうした進捗会議の場が良いのかどうかはまた別問題かもしれませんし、テレワーク環境でもうまくやれる方法もあるかもしれません。


いずれにせよ、雑談やちょっとした相談もできないのはあまり宜しくないなと最近考えています。


私自身フリーランスになったことで周りの同僚と雑談をする機会自体大きく減りましたが、昨今の情勢でシェアオフィスやオフラインイベントなども利用しづらくなり、一層他の同業者とちょっとしたコミュニケーションをとる機会は減ってます。


ブログ等で少なからず発信したりもしていますが、改めて雑談や相談の良さを見直すようになったので今回それについて書いてみました。

データアナリストの倫理観

自分のミスへの対応の仕方


データアナリストはどれだけ優秀な人でも人間なので何らかのミスをした経験はあると思います。


ミスに気づいたときに、これまでどのような行動をとってきたでしょうか。


データ分析で最も多いミスはおそらくデータの集計ミスでしょう。


ミスが発覚するのは、後で他のデータとの兼ね合いで不整合等が起こったり、数字感覚のある人からおかしいと突っ込まれて気づくパターンが多いかと思います。


このときに素直に謝罪して再集計する人もいれば、言い訳をしたりごまかしたりする人もいます。(言い訳やごまかし方も多種多様ですね。。。)


またデータや分析結果を報告した後に、何らかのきっかけで気になって処理ロジックや定義を再確認して実は自分がミスしていたことに気づくというケースもあるかと思います。


他の人にミスが露見する前に自分で気づいた場合、自分からミスを報告して謝罪しリカバリーの動きに入る人もいれば、黙ったままの人もいます。


影響の大きいデータならともかく、他の人が気づく可能性が今後も低く影響も軽微なものであれば、黙ったままにしておくかこっそり修正しておくという人も意外と多いのではないでしょうか。


理想はいずれもミスをちゃんと認めてしかるべきリカバリ対応をとれるほうかと思いますが、皆が皆そうした行動をとれているかというと中々難しいのではないかと思います。


基本的にはミスを認めるが、影響度によっては隠蔽してしまうというケースバイケースということもありうるでしょう。


自分自身を省みても、全てのケースで素直にミスを認められてきたかというと必ずしもそうではなかったかもしれません。(特に若いとき)


こうした倫理観はどちらかといえば個人のパーソナリティに由来するものでしょうから、学習やスキルアップ等で簡単に醸成されるものではないかもしれません。


とはいえ放置していてもよい問題でもないでしょう。


特にリーダーという立場についていると、自分だけでなくチームの責任も負います。


自分のミスだけではなく、メンバーのミスの責任も負うことになります。


メンバーがミスを犯したときに、それを叱れば委縮させてさらに隠ぺい体質になってしまうかもしれないし、逆に叱らないことで甘えを生みミスの繰り返しにつながってしまうかもしれません。


どうマネジメントすべきかも問われます。


自分としてはミスの予防対策をとることはもちろんとして、メンバーがミスを犯してもその後どうすべきかとその影響がどれくらいのものなのかだけは最低限学んでもらいたくて、どんなものでも依頼者に一緒にきちんと謝りに行ってその後の対応を相談するようにしていましたが、果たしてこれも正しかったのか、どこまで効果があったのかは未だにわかりません。


データの利用許諾範囲に対する意識


またもうひとつ、倫理観については大きなテーマがあります。


それは活用して良いデータとそうでないデータとの区別をつけることです。


データ分析に携わっていると、やはり利用可能なデータはすべて扱いたいというのが本音かと思います。


できるだけ多くのデータを使うほうが、予測の精度を上げたり、今までわからなかったことが明らかになる可能性なども上がるかもしれないからです。


しかし、データは基本的に利用許諾の範囲外のことには利用できないので、どの案件においても必ずしも手元のデータが全て利用できるわけではありません。


この利用許諾に関しては、昨今個人情報保護法の改正等によってきちんとデータの提供元に明示して取得する方向になってきていますが、利用範囲の明示があまりきちんとなされないまま収集されたデータも色んなところに多数存在することでしょう。


あえて利用許諾範囲を無視してでもそのデータを利用するというアナリストはいないと思いますが(思いたいですが)、おそらく大丈夫だろうと安易に判断したり、確認等しないまま気づかずに使ってはいけないデータを使ってしまうということは十分起こり得ます。少し前に大きく話題になった事件もありましたね。


人によってこのあたりの意識の差は明確に存在します。そしてそれは各人の倫理観とも関連しているのではないかという気がしています。


もちろん気づかなかったからといって責任はないということはないので、利用者はきちんと扱うデータの利用許諾範囲も理解した上でデータ分析・活用を行うことが求められます。


これはデータアナリストに限らずデータに関わる全ての人に必要な意識ですね。


自社データはもちろんのこと、昨今は共同プロジェクトや企業間連携等で他社のデータを扱う機会も増えていると思われるので一層気を付けなければなりません。


場合によってはアナリストが利用許諾やデータの使用可否について法務等の専門家たちと相談する必要も出てくるかもしれませんね。(実際私は法務には結構よく相談に行ってました)

空想のデータ分析

とあるデータ分析について紹介します。


データや結果には興味があるのですが、諸々の理由でおそらく実現しない分析と思われます。


なので内容は経験談などではなく、単なる私の空想です。


ではさっそく中身に入ります。


普段よりカレンダーツールを使ってスケジュール管理されている企業は多いと思いますが、私は常々このログに興味を持っていました。


人によって使い方も色々で、重要なスケジュールしか入れていない人もいれば、個人の作業やタスクなどを入力している人もいます。


会議だらけでほとんど空きのない人もいます。


スケジュールを入れてほしくない時間帯はブロックしている人もいます。


非公開の予定ばかりの人もいます。


会議は赤、作業は青など項目ごとに色分けしたり、カスタマイズして使っている人もいます。


直近1週間ほどの予定しか入力しない人もいれば、1か月くらい先の予定まで入力してる人もいます。


あらかじめスケジュール登録されておらず急遽招集された会議なども、終わった後できちんと入力する人もいます。


こうしたスケジュールツールの使い方は結構各人の自由に任されているところが多いようです。


色々見ていると、スケジュールツールの使い方と仕事上でのパーソナリティには結構相関があるような気がしていますし、実際にログデータで分析してみたい気に駆られることも時々ありました。


部署によってカラーもあるでしょうし、周りの人たちの使い方に影響を与えているインフルエンサーなどもいそうです。


勤怠データなどとも組み合わせて遅刻やミスの多さなどとももし関連があるなら、スケジュールをきちんと入力させるような指導や対策も取り入れられるかもしれません。


人事データと組み合わせて、人事上の評価や離職分析などにも使えるかもしれません。


営業データなどとも組み合わせて、CRMにも使えるかもしれません。


あとスケジュールとは別になりますが、座席データもちょっと気になってます。


近くの人が誰かによって、パフォーマンスに影響があるかどうか調べてみたいところです。


周りが気付くくらい近くの人が仕事の邪魔をしているとか、ちょくちょくおしゃべりしていて仕事してなさそうとか。


仕事の生産性に影響がありそうなわかりやすいケースも実際にそうなのか気になります。


また一見して特に影響はなさそうでも、ある程度無意識下において何か影響は出ていないのかも気になったりします。


数か月に一度は席替えする会社も多いと思いますので、それで全体最適化となるような座席配置を分析によって決めてみるとか面白そうです。


部署単位にまとまるのが良いのか、フリーアドレスが良いのか、上長の近くは生産性が高いのか、問題ある人を固めるのが良いのか、何か法則性があるのか知りたいところですね。


たまにこうした空想をしてみるのも気分転換や何かのヒントにつながるかもしれないので良いかもしれません。