データドリブンという言葉の誤解

データドリブンについての誤解


データドリブンとは、「勘や経験ではなく、データを元にビジネス上の意思決定や判断を行うこと」と言われています。


データドリブンの目的は、「より良い」意思決定を行うためです。


より良い意思決定を行うためには、勘や経験のような不確かな根拠ではなく、第三者から見ても納得できるような「客観性の高い根拠」が必要と考えられています。


しかし、本当にデータを元にすれば「客観性の高い根拠」を導き出せるのでしょうか。


実際のところは「人による」のではないでしょうか。

<例>

ある商品は先週150個売れました。


先々週は120個売れています。その前の週は100個売れました。


現状の在庫は50個です。


では、来週どれくらい追加発注すれば良いでしょうか?


ある店長さんは、先週と同じくらい売れるだろうと思うかもしれません。


また別の店長さんは、この商品は徐々に販売数が増えてるから、先週よりはもっと売れるだろうと考えるかもしれません。


また別の店長さんは、来週どれくらい売れるかではなく、あまり在庫を増やしたくないと考えて、発注は控えめにしておこうと考えるかもしれません。


どのデータを見るか次第で、導かれる解釈や示唆などは多種多様です。


見るデータが異なれば、まったく真逆の分析結果が出てくるなんてこともあります。


さらに同じデータを使っても、何と比較するかでまたさらに解釈が異なってくることもありえます。


つまり、データの使い方や分析のやり方は人によって異なる属人的なものなのです。


なので、データを使えば皆が「より良い」意思決定ができるようになるとは言いきれないのではないでしょうか。


もう少し言えば、より良い効果が得られる場合があるかもしれないが、そうでないときもある、つまり効果が安定しないということです。


こうなると、「勘と経験」の場合とそう違わないのではないかという気さえします。


しかし実際にはデータが見れたり分析できる環境を用意するところまでがゴールで、そこにたどり着けばあとは自然と意思決定の質が上がるだろうと誤解されているところも多いのではないかと思われます。


その後そのデータをどう活用するかは現場まかせなので、現場側もとりあえず色々分析してみるなど試行錯誤するものの、本当により良い意思決定につながっていると感じているのでしょうか。


現場からすると、むしろデータ分析という「余計な業務」が追加されて迷惑に感じていたりするかもしれません。


データドリブンを実現させるには


ではどうすれば本来のデータドリブンが実現できるのか。


やはり、より良い意思決定を行う、そのための客観性の高い根拠をどうやって得られるようにするかがポイントになるのではないかと思われます。


そのためにはデータ分析のクオリティを全体的に引き上げることです。


しかし、全員のデータ分析のスキルを底上げするのは容易ではないでしょう。


個人的には向き不向きもあると思っているので、時間をかけても厳しい結果になる可能性も高いと思います。


基本的にデータ分析は優秀な分析者にまかせる方がベターではないかと思います。


ただ意思決定の場面はたくさんある一方で、優秀な分析者は確保できても少数でしょうから、人手不足になる可能性も大です。


そのため並行して育成や採用などにも注力し、少しでも優秀な分析者を増やせるかが重要です。


ただ、実はもう一つやれることがあります。


優秀な分析者を増やすのが簡単でないなら、意思決定の方を改善できないか、ということです。


例えば、


1.担当者依存で好き勝手に分析されて品質のバラバラな意思決定をされるのをなるべく防ぐために、意思決定の拠り所となる指標や方針を固める


2.その指標の判断基準を定めて、なるべく「半自動的」に意思決定できるようにする


先ほどの例で言えば、各店長さんの下に優秀な分析者を1人ずつアサインして適切な発注数をそれぞれが分析して決めるのではなく、優秀な分析者一人(もしくは1チーム)が発注数の指標と判断基準を定めて、各店長さんはそれにのっとって発注数を決めるといった感じです。


発注量を決める指標として、例えば「需要予測数+安全在庫数」などと定義しておけば、発注数の決め方に店長さんが悩むこともありません。


需要予測や安全在庫の決め方も統一しておけば、そこに店長さんの属人的な分析が入り込むこともありません。


現場判断もバッファ分として持たせたければ、店長判断数(-N~+N個内)なども加えておけば柔軟な対応かつ統制しやすくもなるのではないかと思います。


さらにこれらをシステム化し自動計算されるようにしておけば、現場での分析業務自体も削減され、半自動的な意思決定が可能になるでしょう。


全ての現場の意思決定がこのようにできるとは限りませんが、それでも半自動的に判断可能な場面がないか精査し、順次定型化・システム化していくことも必要でしょう。


データの民主化


少し前くらいから、「データの民主化」という言葉も聞こえてくるようになりました。


データの民主化とは、一部のデータ分析専門家だけでなく、社員全員がデータにアクセスして活用できるようにすること、とのことです。


データの民主化がなれば、現場の担当者がその場でデータを活用できるようになり、いちいち専門家に依頼する場合よりも、意思決定のスピードが上がる、とのことです。


しかし現場の担当者は、皆が皆最初から優秀な分析者であるとは限らないので、いきなりデータの民主化を目指すと、現場で「データと勘と経験の判断」が蔓延し、データドリブンの失敗系になる可能性が高いのではないかと思います。


意思決定のスピードが上がることは良いことですが、それは最優先の課題でしょうか。


課題の優先順位を取り違えないことが重要です。


データドリブンが進めば、自然とデータの民主化状態になっていくでしょう。


データの民主化は、どちらかといえばデータ関連ツールや研修サービス等を販売するベンダーサイドがよく口にしている言葉かと思いますので、販売促進を狙ったポジショントークな面も含まれていたりします。なので全てを鵜吞みにしない方が良いでしょう。


データドリブンとは


改めてデータドリブンについてまとめてみます。


データドリブンとは、データを活用して、客観性の高い根拠を元にした意思決定や判断を皆が行えるようにすることです。


データをそれぞれが自由に活用できたとしても、客観性の高い根拠を導き出せなければあまり意味はありません。


データを適切に活用して客観性の高い根拠を導き出せる仕組みをいかに構築できるかがポイントです。


今回はそのやり方の一例として、分析の質の向上を目指すこととその型化・半自動化を進めるということを紹介してみました。


データの活用や分析は、数学の問題を解くのと違って誰がやっても正解は一つというものではありません。


一方で、正解がきまってない分、効果に上限がなく、精度やより良い分析を突き詰めることができるものでもあります。


もちろん期待通りでない結果になってしまうことも多々あります。


しかしそれは現場ごとにバラバラにさせるよりも、ある程度専門性の高い人材にチームを組んで取り組ませる方がアベレージでは効率的かつ高品質になるのではないかと思います。(そこに現場に詳しいメンバを入れることでさらにアベレージを上げられる可能性もあるでしょう)


そのためデータ分析チームは、現場に現場自身でデータ分析できる環境やその材料となるデータを提供することではなく、現場に適切な判断指標を導入すること(そのためにデータ分析を繰り返して指標を探る)をミッションに掲げることがデータドリブンの実現には効果的ではないかと思います。


とはいえ、分析人材のリソースも限られているので、そうした制約の中で実現性や拡張性をどう担保していくかも課題です。


この課題への対応については、今回の例よりも他にもっと良いやり方があるかもしれません。


ただいずれにしても、データドリブン(などのバズワード)はしっかりその意味を考えて誤解しないようにしたいですね。