データ活用を推進することの弊害

データ活用に取り組む企業はあちらこちらで見かけます。そこではデータ分析基盤の導入あるいはリニューアル、データサイエンティストの採用や育成、分析専門組織/チームの立ち上げ、勉強会や研修・セミナーへの参加の奨励、など様々な取り組みを行っていることでしょう。


しかし、「そもそもなぜデータ活用をしなければならないのか」と「データ活用ができているとはどういった状態なのか」といった目的とゴールイメージに関するコンセンサスが全社で得られないまま上記のような取り組みが進められると、逆に弊害につながってしまうというマイナス面も少なからずあるようです。


社内の誰もが手軽にデータを取得できるようになっても、ガバナンスがしっかり整っていないと、間違ったデータや分析結果を報告してしまったり、外部にデータが漏えいしてしまうといったことが起こる可能性が高まり、非常にリスキーです。


間違った分析については、以下でも取り上げました

custle.hatenablog.com
custle.hatenablog.com


またもうひとつ大きな弊害として、「データを活用する人」ではなく「データに振り回される人」が生まれてしまうということもあります。


「とりあえずデータを見てから考えよう」

「まずはデータを出せ。話はそれからだ」

「次はこんなデータを見てみたい」


といったように、とりあえずデータを見れば何かわかるかもしれない、何か気づくことがあるかもしれないと、データを集めることに注力していつの間にかそれが目的になってしまう人が増えます。


そうなるとなぜそのデータが必要であったのかが忘れ去られてしまい、より一層集めたデータから何ら有用な示唆は導き出せないで終わってしまうということが多々あります。さらにこうした人々は、仮説思考や目的の精査が必要という話を説いても、聞く耳を持たずそれよりもっと他のデータを見てみるべきと信じて疑いません。(ひょっとすると、それ以上の議論を止めるために、データを見ても駄目だったという免罪符を得るのが目的ではないかとさえ感じることもありました)


こうした人々を相手にするデータアナリストは、常日頃から大量の(意味があるのか不明な)データ提供依頼に忙殺されてしまい、戦略的な分析に取り組む時間もとりにくくなるという悪循環に陥ってしまいます。


テクノロジーの進化によってデータを取得するコストは下がっているとはいえ、データを何のためにどのように活用すべきかといった目的とゴールイメージをはっきりさせ、かつそれが関係者間で共通認識されている状態を作ることがまずできていないと、ただ徒にデータを集めようとするデータコレクターを増やすことになり、仕舞にはそれらの人たちがデータアナリストの足を引っ張ってしまうことにもなりかねません。


ではデータ活用を進める取り組みによって、弊害にならないようにするにはどうすれば良いのでしょうか。


参考までに私が過去に担当した案件では、まずクライアントの業務フローと業務上の課題を整理することからはじめました。そしてその課題をデータによって定量的かつ具体的に可視化できるように設計・実装し、それによって業務フロー上のどこでどのような対策が打てるようになるかを検討して、業務フローのデザインを少々変更してもらうといった流れで対応したということもありました。


その他にも、全社でデータ活用事例を少しずつ蓄積していき、正しい活用方法をみなに学んでもらうなどのやり方もあるかと思います。


また急に全員のデータ活用リテラシーが上がるとも限らないので、当面は無意味なデータ取得や分析もある程度は出てくることは覚悟して、同時にそうした作業にかかる工数はなるべく膨らまないようにBIツールや自動化の技術などを使ってデータ取得コストの削減に一層努めて、その分データアナリストの力を分析に注力できるようにすることなどは考えられます。


合わせてデータガバナンスをきちんときかせるために、各種データの取り扱いルール(特に個人情報や機密情報関連)の策定と周知、アクセス制御やセキュリティ対策、データの仕様や使い方の標準化と共有なども必要になると思います。


今回紹介した弊害については私もよく遭遇しますのでそのたびに色々と試行錯誤中なのですが、何か効果的な取り組みがあればまた紹介したいと思います。