「解像度を上げる」の落とし穴

少し前から「解像度を上げる」とか「解像度を高める」という言葉をよく耳にするようになりました。


特に顧客理解の場面で使われることが多いようです。


ざっくりいうと顧客理解が粗くあいまいだと解像度が低くて、顧客を細かく具体的に理解できていれば解像度が高い、ということらしいです。


ところで一般的に解像度を上げるとは、画像を拡大して細かい部分も見えるようにするということかと思います。



例えば上記の画像の赤い部分を拡大すると、



こんな感じで、この中にどんな人が何人いるのか、彼らの服装や持ち物はどうか、などよりはっきりとわかりやすくなりました。


ちなみに最初の画像だとあまりはっきりしませんが、上記の画像だと右上にベビーカーにのった赤ちゃんがいるのにも気づきやすくなったりしますね。


このように細かい部分がはっきり見えるようになるのはメリットにつながる可能性はありますが、一方でデメリットもあります。


それは「視野が狭くなる」ということです。


赤い部分の解像度を上げることで、それ以外の部分を意識から切り捨てたり、あるいはあまり注目しなくなったりしてしまうかもしれません。


元々「赤い部分以外は不要」ということならば問題ないかとは思いますが、もしそうでないならば、あるいはそうでないことに気付いていないならば、危険です。


顧客理解の例で言えば、顧客の解像度を上げるために、とある顧客にデプスインタビューを実施したとしましょう。


それによってその顧客の考えや価値観などを深く理解することができ、製品改善のヒントをつかむことができました。


しかし、一方でインタビューをしていないその他顧客のことは頭から消えてしまいやすくなります。


デプスインタビューによって見つかった製品改善のヒントが、別の顧客にとってはひょっとすると改悪であったりする可能性もゼロではありません。



あくまで見ているものの対象が適切であるという前提において、もしそこに曖昧さがあれば解像度を上げて具体化するのは有効かもしれません。


しかしそもそも見ているものが適切な対象ではない場合、解像度を上げても見るべきものは見えてきません。


この時、では別のものを見てみようと考えを切り替えられるならばまだましなのですが、そうではなくさらに解像度を上げて細かく見ようとしたりすると泥沼にはまる可能性が上がります。


ただし、見る対象を切り替えても見たいものが見れないことが続く可能性も低くないでしょう。


こうした場合、より良いのは解像度を下げてより広い視野で俯瞰して見てみることです。


そうすることで抜け漏れの予防や重複・手戻りの予防等がしやすくなり、本来したいことの成功率や効率もアップする可能性が高まるでしょう。


データ分析(主にデータマイニング)ではよく聞く話ですね。


解像度を上げることだけに捕らわれすぎずに、時には解像度を下げて広い視野で物事を見るべき場合があることも意識しておいた方が良いかと思います。